〈借金人間〉製造工場
“負債”の政治経済学

マウリツィオ・ラッツァラート 杉村昌昭訳
本体 2,200円
ISBN 978-4-86182-390-9
発行 2012.6
【内容】
“負債”が世界を支配している! 私たちは、借金しているのではない。金融資本主義によって、借金させられているのだ! 欧州で話題のベストセラー!
現在、国家の“負債”も、個人の“借金”も、世界的に急増しつづけており、国家財政にとっても、私たちの人生にとっても、最大の脅威となっている。では、なぜ“負債/借金”は、それほどまでに増大しつづけるのか? 本書は、今ヨーロッパで注目される社会学者・哲学者が、経済学から、ニーチェ、ドゥルーズ/ガタリ、フーコーの哲学までも駆使しながら、“借金/負債”とは何かを、古代ギリシャから現代までの歴史をさかのぼり考察し、現在では、グローバル資本主義による個人・社会への支配装置として機能していることを明らかにした、欧州で話題のベストセラーである
本書は、現在、最も世界的な注目を集めている問題をあつかっている。とくに興味深いのは、それを表層的な経済問題の議論を超えて、ダイナミックに歴史的に考察を深めていることである。哲学者にして社会学者でもある著者にとって、社会的なもののパラダイムは、象徴的交換ではなくて、“債権者/負債者”の関係にほかならない。 「各個人を、借金を背負った経済的主体に変えること」――これが、我々が現在生きている経済システムである。“借金人間”(ホモ・デビトル)こそが“経済的人間”’(ホモ・エコノミクス)の新たな相貌である、と著者は喝破する。“借金人間”である我々は、住居を得る権利を持っているのではなく、住宅ローンの権利を持っているだけである。教育を得る権利を持っているのではなく、学歴を得るために奨学金を組む権利を持っているだけである。 現在の経済システムにとって、負債(借金)は、社会的コントロールの願ってもない道具である。それは“人々の未来を所有する”ことを可能にするからである。つまり“人々の予測不可能な行動”をあらかじめ封じ込めることができる。そして、“借金は返済するべきだという倫理を製造すること”の背後に、著者は“罪悪感の製造”を見る。著者は、マルクス、ニーチェ、フーコー、ドゥルーズ/ガタリなどを援用しながら考察を深める。最も刺激的なのは、現在、われわれは、負債と永遠に手を切ることができないというところだろう。これは、著者のテーゼの中で最も注目すべき指摘であるが、人類の歴史において“負債(借金)”とは、太古の社会では“有限”なものであったが、近代化の過程で“無限”なものへと移行し、さらに金融資本主義の誕生によって、けっして完済することのない“借金人間(ホモ・デビトル)”が創り上げられていったというものである。こうして我々は、借金を背負い返済しつづける“現代のシジフォス”となったのである。――『ル・モンド』
【著者紹介】
マウリツィオ・ラッツァラート(Maurizio Lazzarato)1955年生まれ。パリ在住の社会学者、哲学者。非物質的労働、労働者の分裂、社会運動などについての研究を行なう。また、現在、世界的な広がり見せる、反貧困・反格差社会を求める市民・労働者の活動の理論的な指導者でもある。邦訳書に『出来事のポリティクス』ほか。