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曙食堂

【内容】
昭和の心を描く感動の書き下ろし長篇小説。
戦災によって語り難い悲運を甘受せねばならなかった一人の帰国留学生深山千蔵が、戦後まもなく引き始めた一台の屋台車。そしてそこから始まる一つの鎮魂の物語。

 千蔵はあらためて目を閉じた。と、目蓋の裡に現れたのは、一匹の虫だった。それは羽化を終えたばかりの、白い蝉の幼虫だった。千蔵はこの蝉の羽化を、弟と二人で見たのだ。美しく変容した蝉の姿を見たあの時の驚きは、忘れていなかった。
 それにしても、今頃になって、なぜこんな蝉の姿を思い出したのだろうか。……
 ふと、心の裡に、ひとつの自問が生起した。自分はこの人生を、本当に生き直しているのだろうか。あの変容した蝉のように、此世であらためて生き直しているのだろうか。――本文より